神田 しょう いち。 庄や 神田東口店

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神田 しょう いち

「ふざけるな、矢野誠一」と激怒 神田松之丞:私事ですが、1月の4日からですね、あうるすぽっとという場所で、慶安太平記という。 全19席、5日連続公演をずーっとやってまして。 これはお客様にも、5日連続で来ていただいて、楽しんでいただくっていう、この凄い大成功に終わったんですけども。 初日、矢野誠一っていう評論家が来てまして。 で、こいつ初日しか来てないくせに、朝日新聞に酷評の記事を書くっていう 笑 ふざけるな、矢野誠一。 …そもそも、矢野誠一をみんな知らないから、この話食いつき悪いのよ。 でも俺はね、そなんで矢野誠一に対して怒っているかというと、これも難しくってね。 怒りって、笑いにまぶさないと伝わらないのよ。 だから俺、本当に矢野誠一が言論の場で来たから、俺も言論で返していかなきゃいけないんだけど、それ、俺は笑いにまぶせてっていうの、1個あるから矢野誠一より不利なのよ。 ふざけがって。 講談の専門家ではない矢野誠一氏 神田松之丞: 矢野誠一の神田松之丞の講談に対する評論が 最近の朝日新聞に出たんですけど。 まず、「ここ50年ほど講談見てない」って言うのよ、要約するとね。 「なぜなら、聴きたい講釈師がいなかったからだ」って、もう大分、無礼なわけ。 で、矢野誠一さん自体は83で、落語の研究者って言うか。 だから、講談を全く知らないのよ。 で、昔の、50年以上前に見てた、もうだからアップデートされてないわけだよ、矢野誠一さんがね。 で、この人自身は、なんで講談見なくなっちゃったかっていうと、俺の大師匠の2代目 神田 山陽っていうのがいるんですよ。 芸筋で言うとおじいちゃんに当たるね。 ウチの師匠も含めて、矢野誠一さんっていうのは、二代目山陽に対して、「口調が素人みたいだ」みたいなことを言ったんですよ、矢野誠一さんはね。 「素人口調め」みたいな。 で、それは二代目山陽が非常に革新的で、色んな人に分かりやすいように、そういう風にしてたんだけど。 だから、その当時からアップデートできてなかったんだけど、二代目を批判してるの。 で、その後にウチの師匠が若い頃に、矢野誠一がこれまた、やっぱり二代目の弟子だから小山陽、当時ウチの師匠、小山陽っつったんだけど。 これはもうね、言っておきますけど、ウチの師匠ほどプロの口調ってないわけよ、商売人が見てて。 誰に言っても、ウチの師匠を素人口調なんて言う奴は、頭がおかしいわけ。 つまり、矢野誠一は頭がおかしいわけですよ。 それによって、講談界を基本的にアイツ、蹴られたわけよ。 演者から、アイツダメだなって。 コイツ、それにも関わらず、ここ50年ほどご無沙汰だった、「聴きたい講釈師がいなかったから」だって、お前、弾かれてんだ、ボケと。 アイツ、今回『いだてん』で古今亭志ん生がNHKで取り上げられるから、志ん生見てた最後の世代だからフィーチャーされるよ。 ふざけやがって、あんなクソ老いぼれに。 これ、裁判やったら負けるんじゃない?ここで。 この「老いぼれ」とか言ってるから 笑 放送後、まさかの反響 神田松之丞:前回の矢野誠一の放送がさ、俺もうさぁ、どうせタイムライン荒れてんだろうなと思ったら、ビックリするぐらい好評だったでしょ。 「矢野祭り」になってたでしょ。 ラジオリスナーとかって、ああいうシャレ分かるしさ、「言論は言論で」みたいな感じなんだけどさ。 多分、ラジオリスナーが多分引くのがさ、「 mj954」とかではない、松之丞検索で出てくる、あの演芸ファンの気持ち悪さに引いてるよね。 だから思った。 まぁ、もちろん一部の演芸ファンですよ。 ラジオリスナーを凌ぐよね。 で、そういう奴らがさ、何か書いてんだけどさ、「年上に失礼だ」っつってんのよ。 ええ?「年上に失礼」ってもうさぁ、もう全部ぶっ壊してんじゃん、論理とか。 ビックリしたよ、「年上に失礼」って発言。 いかにそいつらが頭悪いかって分かるよね。 そういう、もろもろとかを含めてね、ああなんか本当に、「ああ、意外にラジオリスナーの方がまともなんだなぁ」って思っちゃったなぁ。 電話をかけて直接対決 神田松之丞:正直、前回の矢野誠一に関して言うとね、当然、僕目線で笑いに変えてるから、僕への賛同が多いわけ。 で、それはちょっと俺も矢野誠一さんに対して卑怯だなと思って。 ちゃんと矢野さんの意見も、後で処理しなきゃいけないってことで、矢野さんに直接電話したんですよ。 そしたら、「もしもし、矢野です」って電話取ってさ。 出るんだって思って。 で、「実はこれこれこういうことで、5日連続の会なのに、初回しか来てないのはどういうことですか?」とか、あと、「基本的に50年以上見てない、聴いてない人が言うのはどういうもんですか?」って。 色んな、自分が凄くモヤモヤしていることを全部矢野さんにぶつけたら、矢野さんはまぁ、それ83ですから。 全部聞いてくれて。 「分かった、君と僕は考え方が違うけど、意見としては十分わかりました。 受け止めます」っていうのを言ってくれて。 俺もさ、20分にわたってさ、矢野誠一本人に、矢野誠一の罵倒をずっとしてたわけ。 あのラジオのテンションを、ちょっと抑えた感じで。 俺、偉いなって思った、それは 笑 だから、言論の人って、ちゃんと言論で向き合うし、もうなあなあにしようとか一切思ってなくて。 俺は、矢野さんのことを今でもやっぱりよくないと思うけど、なんかそこら辺、電話かけられたら、ちゃんと電話で受け止めて、「分かった。 君の意見は分かった」って言ってくれるっちゅうのは、やっぱ大人だなって。 そもそもさぁ、俺が勝手にラジオで言っちゃったから拡散しちゃってるけどさ、俺と矢野さんの問題じゃん、これ。 なんかガタガタさ、「松之丞がいい」とか、「矢野さんがいい」なんて言われる筋合いないんだよ…じゃあ、ラジオで言うなよ 笑 はっはっは 笑 「お前が広めたんじゃん」と思うけど。

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神田日勝

神田 しょう いち

2代目 [ ] 本名:玉川 悦太郎(たまがわ えつたろう)、(明治18年) - (昭和42年)。 初代の子息。 に父に入門し神田悦山を名乗り浅草公園金車で初舞台。 神田小伯山を経てに父の名跡・2代目神田松鯉を襲名。 の小説「花野」のモデルになった。 80歳過ぎても高座に上がり続けた。 3代目 [ ] 3代目 神田 松鯉((昭和17年) - )は、講談師。 、所属。 落語芸術協会ではを務める。 3代目 神田 ( かんだ ) 松鯉 ( しょうり ) 本名 渡邉 孝夫 生年月日 1942-09-28 (77歳) 出身地 師匠 弟子 名跡 1. 神田陽之介(1970年 - 1973年) 2. 神田小山陽(1973年 - 1992年) 3. 3代目神田松鯉(1992年 - ) 出囃子 活動期間 - 活動内容 所属 主な作品 「ビジネス講談」 受賞歴 第6回ホープ賞(1978年) (1988年) 重要無形文化財の保持者()(2019年).

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神田伯山 (6代目)

神田 しょう いち

生涯 [ ] 1937年(12年)東京の練馬に生まれる。 (昭和20年)、に遭遇。 戦火を逃れる為、一家で北海道鹿追町へ疎開する。 (昭和25年)に鹿追中学校に入学し、を創設する。 (昭和27年)頃には兄・一明の影響を受け、を始めた。 (昭和28年)に中学を卒業、美術が特に優れていたとして賞を受ける。 そしてに進んだ兄のに代わり、農業を継ぐ。 (昭和31年)、平原社美術協会展(平原社展)に『痩馬』を公募展初出品、朝日奨励賞を受賞する。 その後も同展やや全道美術協会展(全道展)など北海道の美術運動を進める公募展を中心に出品、(昭和35年)には『家』が全道展で初入選を果たす。 これ以降は入選を重ね、評価を固めていく [ — ]。 (昭和37年)に結婚、1964年に長男、1968年に長女が誕生する。 1970年(昭和45年)、全道展に代表作『室内風景』を出品 [ ]。 しかし6月下旬に風邪をこじらせ、体調の快復を得ないまま8月に入院し加療後も病状は好転せず、8月25日、によるのため死去。 32歳であった。 画風 [ ] 神田日勝の画歴は決して長くはないが、その中でも さまざまな画神谷勝の会風の変遷 [ — ]が見える。 しかし、ベニヤ板にペインティングナイフを使った独特の描き方と、具象的な画を求めるスタイルは変わらなかった。 1956年 - 1964年頃 [ ]• 『痩馬』や『家』に代表される初期の作品は、主にとを中心としたな色彩となっている。 この頃は牛や馬などの農業に関連する動物や、日常の風景に起因する画が多い。 1964年 - 1970年『室内風景』まで [ ]• モノクロームを基調とした画風にも(昭和39年)頃から変化が出てくる。 この頃の流行であったアンフォルメル(非具象)運動の影響を受け、表現主義的な絵画を発表。 しかし、独自の具象的な表現にこだわった作品も制作し続ける。 『馬(絶筆)』 [ ]• 最後の作品『馬(絶筆)』は黒々とした重厚な描写が印象的であり、初期のモノクロームに帰着したとも言える。 しかし、同じく最晩年に発表された『室内風景』の色彩及び、『馬(絶筆)』自体が未完であるため、断定はできない。 エピソード [ ]• 農民画家と言われることを嫌い、自分のことを「画家である、農家である」と区別して語っていた。 (5年)には鹿追町に鹿追町立神田日勝記念館が開館。 その後、記念館は(平成18年)にと改称、現在に至る。 (平成31年)4月より放送された『』で演じる登場人物、山田天陽のモデルとされている。 命日の8月25日には、神田日勝記念美術館で「馬耕忌」が実施される。 例年は50人程度収容のホールで実施したが、2019年は前述の山田天陽役の吉沢を招いてトークショーを企画し、600人程度のホールに倍率6倍の抽選の当選者を集めた。 主な作品 [ ]• 『牛』(1964年)• 腹を割かれた牛 がモチーフの作品。 その後の色彩豊かな作品に通ずる赤々とした腹の内壁が印象的。 『画室A』(1966年)• 『画室E』まで続く一連の『画室』シリーズの最初の作品。 この当時流行していたアンフォルメル運動の気配を感じ取りながらも、独自の具象表現を維持しようとした日勝の意欲が表れている作品。 『室内風景』(1970年)蔵• 日勝最後の完成作。 が壁と床一面に張られた部屋で、男が一人うずくまっている印象的な絵。 日勝の絵としては珍しく、奥行きがある。 因みに1968年にも同名の作品を発表したが、うずくまる男性という主題は共通するものの、が異なり全然違う印象を受ける。 『馬(絶筆)』(1970年)• 製作中に病に倒れたため、後ろ足が全く描かれていない不思議な作品。 しかし、ベニヤ板にペインティングナイフで描かれた黒く重厚な馬には、未完ながらも完成作の様な雰囲気が漂う。 また、神田日勝記念美術館のシンボルマークにも採用されている。 展覧会 [ ] 常設展示、記念館の展示を除く。 1978年「神田日勝展」• 1998年「神田日勝・深井克美展」• 2020年「神田日勝 大地への筆触」 (新型コロナウイルス感染の拡大防止のため4月開催を6月に延期。 ) 出版物 [ ] 画集、作品目録 [ ]• 「神田日勝 画集」著・神田日勝、• 神田日勝(画)『神田日勝 : いのちの実景 』、神田日勝記念館、1993年。 『神田日勝文献目録展覧会記録』 神田日勝記念館(編)、1997年。 『神田日勝文献目録展覧会記録』神田日勝記念館(編)、1998年。 神田日勝(画)『神田日勝デッサン集』鈴木正實(監修)、神田日勝記念館(編)、北海道新聞社、1999年。 神田日勝(画)『神田日勝 : 神田日勝記念館所蔵作品図録』 、神田日勝記念館 1999年。 参考文献 [ ]• 岡部卓『「木田金次郎と神田日勝展」 : 海と大地の邂造』瀬戸厚志(編集)、木田金次郎美術館、鹿追町立神田日勝記念館(当時)、1997年、1-35頁。 金山政紀「時評 美術 二尺七寸の唄--『神田日勝・深井克美展』を観て」『社会評論』第24巻第2号(通号 112)、1998年5月。 芸術新潮, 編纂. 「神田日勝展の感動」『芸術新潮』第29巻第5号(通号341)、、1978年5月、 69頁。 国立国会図書館内公開。 鈴木正實「多賀谷伊徳 美術メモ 神田日勝の世界--鍬と絵筆」『三彩』第368号、三彩社、1978年3月、 50頁。 国立国会図書館内公開。 「神田日勝の油彩--密室の思考」『みづゑ』(通号 878)、1978年5月、 76-81頁。 美術の窓 生活の友社(編) 35 第4号 通号 411 : 24-27. 2016年4月. 細井冨貴子「〈滅び〉の生きている風景 : 一農夫、一画家、神田日勝についての覚え書」『季刊銀花』、、2020年5月、 88-95頁、 :。 国立国会図書館内公開• 関連資料 [ ] 伝記 [ ]• らんぷの会(編)『神田日勝』、鹿追町美術研究会、1977年。 : 、。 全102頁、図版11枚 ; 21cm。 神田日勝の肖像あり、同略年譜:102頁。 鈴木正実『神田日勝 : 北辺のリアリスト』北海道立近代美術館(編)、北海道新聞社〈ミュージアム新書 ; 4〉、1984年。 神田ミサ子『私の神田日勝』、北海道新聞社、1992年、: 、。 平田兌子『絵で見る神田日勝の生涯』、神田日勝記念館、1998年。 鈴木正實『神田日勝の世界 : 二度生きる』、北海道新聞社、2003年。 作品について [ ]• 小川正隆「ボスト・コレクション 神田日勝」小学館(編)『週刊ポスト』第3巻第35号(通号105)、小学館、 1971年8月、89-91頁。 :、国立国会図書館内公開。 「 神田日勝 1937~1970 「ハングリー」が生んだ絵 」 『芸術新潮』第31巻第9号、28~29頁、1980年9月。 「アートグラフ」第2巻第1号(通巻4号)特集。 『帯広百年記念館特別企画展』第1〜4巻、第6巻、第7巻、 (編)、1988年。 豊田正子「綴方教室 未完の馬-夭折の画家、神田日勝」『えんぴつの花』高橋揆一郎、文芸春秋、1989年、 、:。 『日本全国ユニーク個人美術館』新人物往来社〈東日本編〉、2008年。 『日本美術全集』第19巻、辻惟雄、泉武夫、山下裕二、板倉聖哲(編集委員)、、2015年。 川岸真由子「《室内風景》の男は何を見つめていたか : 神田日勝の場合」(パネリスト報告)『北海道芸術論評』第10号、10-16頁、2018年3月。 シンポジウム記録『 「片岡球子 本画とスケッチで探る球子のひみつ」展シンポジウム : 手のあと、思考のあと : 絵画制作のプロセスをたどる』より。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 北海道 十勝 鹿追町. 2020年6月6日閲覧。 原 義行 作品紹介. 北海道画廊. 2019年9月24日閲覧。 旭川市. 2019年9月24日閲覧。 www. ejrcf. 東京ステーションギャラリー. 2020年5月31日閲覧。 , p. [ ]. , pp. 24-27. 美術手帖. 2020年5月30日閲覧。 kandanissho. com. 北海道 鹿追町: 神田日勝記念美術館. 2019年4月8日閲覧。 , pp. 40-42. 2019年8月25日. 2019年9月24日閲覧。 , p. , p. , pp. 76-81. , pp. 88-89. , p. [ ]. , pp. 60-63. 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]•

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