田渡 凌。 Bリーグ横浜田渡が契約満了、自由交渉選手リストに

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Contents• バスケ田渡凌が炎上! ますはじめに、バスケットボール選手の田渡凌さんが、テラスハウス出演で炎上している理由について。 田渡凌選手は、Bリーグの横浜ビー・コルセラーズ(通称:ビーコル)に所属している現役のプロバスケットボール選手。 しかも、ビーコルのキャプテンを務めるほどの超中心選手です。 今回の炎上で、スポットライトが当たっているのは、 プロバスケット選手にも関わらず、テラスハウスで恋愛しようとしていること。 つまり、 「 バスケに影響はないの?」「 パフォーマンスは下がらないの?」「 恋愛する時間あるなら、もっと練習するべきでは?」というところです。 たしかに、言わんとすることは理解できます。 とはいえ、 プロバスケットボール選手がテラスハウスに出演することで、 バスケットボールやBリーグの知名度が上がり、結果的にバスケットボール界にとってプラスなことじゃないの? 田渡凌選手が身を削ってテラスハウスに出演してくれてるんじゃないの? だから、応援するべきだ!! というような意見も出ており、賛否両論といったところです。 この二つの意見がぶつかり合い、炎上しているというわけです。 テラスハウス出演にビーコルファンの声は? では、実際にバスケファンやビーコルファンはどういった意見なのでしょうか? 田渡凌が練習足りないとかもっとストイックにやれなんて事は一言も言ってない。 ただ、今は八村達の活躍で前より日本バスケが注目されているところで あえて今テラハに入居する理由がイマイチ分からん。 多分テラスハウスという番組を前から見てる人なら俺と同じ気持ちの人は多いはず。 トラベリング curlflatdeny91 やっぱり両方の意見がありますね。 ビーコルファンが、テラスハウス出演に批判的なの意見があるのももちろんわかりますが、 田渡凌選手の立場になって考えてみると、個人的には、決してバスケをおろそかにしたいわけではなく、「 今のバスケット界に少しでもプラスになれれば」という思いと、「 自分自身の知名度も上がり、影響力も上がる」という2つの思いがあるような気がします。 テラスハウスへ出演したからといって、バスケットで結果を出さなければ、叩かれることは分かった上での判断でしょう。 自分自身にプレッシャーをかけて、リスクを追ってる訳ですから、応援したい気持ちが個人的には強いです。 アメリカに行ったときに、障害者やお年寄り、低所得者層などへの「地域貢献活動」を目の当たりにしました。 例えば、NBAの選手が貧しい家族を試合に招待するなどです。 そういうのはBリーグ含めて日本にはあまりないと思うし、横浜に来てからの3年間でも見たことがない。 だから 「観たことのない人に観戦の場を提供する」という活動に、今年の秋から取り組んでいく予定です。 tential. バスケ以外にこういった活動ができるのは、素晴らしいことですが、やっぱりテラスハウスへの出演というプライベートでも気を抜けない環境へ自分を置くことは、ある種田渡選手のプロ意識の現れなのではないでしょうか? 実際、田渡選手のバスケ以外の活動で、バスケットファンが増えることは、誰にとってダメなんでしょう? まとめ 今回は、「バスケ田渡凌が炎上!テラスハウス出演にビーコルファンの声は?」についてお話ししてきました。 まとめると、 ・田渡選手のテラスハウス出演で世間は炎上 ・「バスケ界にとってプラス」「パフォーマンスが落ちる」の賛否両論 ・よく調べると、田渡選手のテラスハウス出演の意図が見えてきて、応援したくなる となります。 個人的な意見もかなり盛り込みましたが、悪しからず。 👇あわせて読みたい👇.

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田渡凌×藤田慶和(セブンズ日本代表) 同い年で仲良しな2人の共通点は?

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横浜ビー・コルセアーズ退団と広島ドラゴンフライズ入りが発表された田渡 凌 田渡は、京北高等学校(現・東洋大学京北高等学校)を卒業後、渡米し、オローニ・カレッジ(短大)、ドミニカン大学カリフォルニア校。 2017年に帰国し、横浜ビー・コルセアーズ入り。 以来ビーコルで3シーズンに渡ってプレーした。 今季はキャプテンに就任して、チームになくてはならない存在になっていた。 5月18日に契約が満了し、自由交渉選手リストに公示されていた。 今季は、レギュラーシーズンで41試合に出場して23試合で先発。 総得点数285点(平均7得点・シュート成功率35. また、今季はメディアへの露出も増え、Bリーグ『2019-20 SEASON MIP』を受賞するなどして人気選手になっていた。 田渡は、チームを通じて以下のようにコメントしている。 「3年間期待を裏切ってすみませんでした。 自分の力不足でした。 それにも関わらず沢山の温かい応援を本当にありがとうございました。 できることであれば皆さん一人一人に御礼を言ってまわりたいくらいです。 横浜で始めて横浜で終わる、その目標が叶わず残念ですが、アメリカの大学を卒業し帰国したばかりの自分にチャンスを与えてくれた横浜ビー・コルセアーズには感謝しかありません。 そして、3年間朝早くから来て自分のリバウンドや身体のトリートメントに付き合ってくれたり、凌ならできる!といつも声を掛けてくれたマネージャー、トレーナーの皆さん、自分を信じてくれたコーチ陣の皆さん、プロとして大切なことは何か教えてくれた偉大なる先輩方、もっとしっかりしなきゃいけないと思わせてくれた後輩たち、本当にありがとうございました。 いつの日か、胸を張って横浜でキャリアを始めて良かったと言えるような活躍をして、皆さんに恩返しができるように精進します。 日本一のブースターのもとプレーできたことはとても幸せでした。 またスポンサーの方々含め横浜ビー・コルセアーズに関わる全ての方々へ、本当にありがとうございました。 横浜が大好きでした」 田渡の「横浜が大好きでした」の言葉が胸を打つ。 いつも献身的にチームを引っ張ってきた姿を思い浮かべると惜別としかいえない。 父・田渡優は、バスケットボールの名門校京北高等学校(現・東洋大学京北高等学校)の監督であり、兄には埼玉ブロンコス、東京サンレーヴスでプレーしていた田渡敏信とサンロッカーズ渋谷の田渡修人を持つ、まさにバスケ界のサラブレッドだ。 アメリカでの武者修行を終えてBリーグでのプレーを決めた田渡が、ビーコルを選んでくれたことに喜びを感じたのは筆者だけではないだろう。 で田渡が紹介された時、会場のマスコミ陣とビーコルブースターのどよめきと歓声は凄いものだった。 その時のスピーチで田渡はこんなことを話していた。 「このチームに可能性を感じています。 失礼な話なんですけど、去年あまり勝てなかったチームと聞いていて、これまでにそういうチームでプレーをした時に、楽しさを感じたり、自分が成長したなって感じることが多かったので決断しました」 強豪チームではなく、敢えてこれからのチームに入る。 この言葉には、このチームを自分が強くするんだといった強い心意気を感じた。 田渡の新天地となる広島ドラゴンフライズは、今季悲願のB1初昇格を果たしたチームだ。 田渡は再びこれからのチームへと船出する。 ビーコルでの3シーズンにわたる貢献に感謝すると共に、新天地・広島での活躍を祈念したい。

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監督がお父さんというのは、アスリートにとってどういうものなのでしょうか? 田渡 (ラグビーが)嫌になったことある? 藤田 嫌になったことはないけど、怖かったね。 田渡 それは俺もあるね。 藤田 人一倍厳しくされたので。 あとは期待してくれたというのもあるよね。 藤田 そうね。 「こいつならできる」というのは心の奥底に持って指導してくれてたと思います。 だから厳しくやってくれたんじゃないかなと思っています。 小学校2年生か3年生のときに、野球チームの体験に行ったんですよ。 体験に行けばハンバーガーもらえるというので、ハンバーガー目的で行ったんです。 田渡 マクドナルドの券みたいな。 藤田 そう、そういうやつ! そこに行ったら、チームに勧誘されたんです。 僕もその気になって、カンボジアに出張に行っていた父親に電話で「野球する」と伝えたら、「ちょっと待て、連れて行きたいところがある」と言われまして。 それで伏見工業の菅平の合宿に連れていかれて、高校生や山口先生からラグビーボールで遊んでもらい、最終日に父親にショップの前で「ラグビーやるんやったら、一式全部買ってやるぞ」と言われました。 一同 (笑)。 藤田 そこから僕のラグビーが始まったんです。 田渡 お父さんすげえな、プレゼンの仕方が。 一同 (笑)。 田渡 俺はお兄ちゃんがいるので、自然と始めてた。 長男はきっかけがないと始めないもんね。 たしか小学校のチームはすごく強かったんだよね? 藤田 強かったよ。 僕らができて4年目だったんですけど、関西のチームには敗けたことなかったですね。 僕らのときは全国と試合する機会がなかったんですけど、僕の弟の代で日本一になりました。 創部7年で日本一なので、父親は指導者としても優秀なのかなあと思います。 外野から見るとエリート街道ですが、プレッシャーや挫折はありましたか? 田渡 昔は試合に敗けたら毎回泣いてた。 藤田 俺はあんまり敗けたことがなかった。 田渡 ああ、そうか。 藤田 オーストラリアのチームと試合して敗けたのと、あと大阪の連合チームと試合したときに敗けた。 6年生のときは80何戦して、敗けたのその2つだけなんよ。 そのときは相当泣いたね。 田渡 すげえな(笑)。 僕は練習試合で勝てないだけで「クソっ!」て言って泣いてましたね。 すごく負けず嫌いでした。 敗けるたびに、イライラもしていましたね。 挫折とは言わないですけど、それが頑張ろうというモチベーションにもなっていました。 お父さんに言われて一番覚えているのは、僕が消極的なプレーをして敗けたときがあったんですけど、帰りの車の中で「おまえがシュートを打って外して敗けるならいいけど、何もやらないで敗けるのは俺は絶対に許さない」と言われたことです。 その次の試合に活躍して勝ったこともあって、それはすごく覚えていますね。 活躍しようがしまいが。 小学生のときからずっとやってきたので、気持ちが入ってないのがわかるみたいなんです。 そういう試合のあとは、監督ではなくなった中学のときでも怒られましたね。 気持ちの入っていないプレーをすると相手にも失礼ですし、そういうところを小さい頃から父親はずっと言い続けてきたのかなと今は思っています。

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